ヨブはビルダドに答えているのですが、また彼の言葉は主に対する祈りになっていきます。ヨブは神の御前に自分の苦しみを持っていきます。ヨブは自らの中にある深い嘆きをそのまま主の御前に吐露します。肉体的な苦しみというだけでも、ある意味耐えられないほど大きなものだったことでしょう。しかし、ヨブをそれ以上に苦しめたのは、なぜそのような厳しい試練が自分に襲ってきているのか理解できないということでした。言い換えると神がなぜこのような苦難が自分に臨むことを許されたのかということが分からない。ヨブは神がどんなにいつくしみに富んだお方かということを覚えています。主がヨブに命を与え、慈しみを注いで、その愛のまなざしの中にヨブを育て、導いてこられたのです。ヨブはそのことを知っています。覚えています。そしてなおも、ヨブはこのお方に信頼しています。だからこそ、ヨブは苦しみます。そして苦しみの中からただただ主を見上げるのです。