ヨブの言葉が続きます。ヨブの皮膚はただれるようになり、本来だったら一時的でも苦しみを忘れることができるはずの夜も、寝返りを打つばかりで休むことはできません。日陰をあえぎ求めても与えられず、どれだけ労苦しても、何もよい報いは与えられてません。
ヨブはエリファズに答えていたのですが、いつしか彼の言葉は主に対する叫びになっていきます。まさにヨブは主に向かって嘆きの言葉を上げます。私たちの祈りは形の整った賛美の言葉ばかりである必要はありません。私たちの祈りも嘆きになることがあります。「嘆き」は決して不信仰の叫びではありません。主は私たちの嘆きを聞いてくださるからです。ヨブは決して弱音を吐き、苦しみの中で神を呪っているのではありません。ある意味、主に信頼して、嘆きの言葉を上げているのです。そして主は私たちが苦しみ嘆くときに、決してそれを面白がり、笑い飛ばすような方ではありません。また私たちをいつまでもひとりで嘆きの中に閉じ込めておかれるお方でもありません。主は私たちの嘆きを聞き、また共に嘆いてくださるお方です。