ダビデがまた大きな罪を犯します。彼は自分の国にどのくらいの軍隊がいるかを知りたくなったのです。自分がどのくらい偉大であるかを知って、安心し、自慢し、周辺諸国に向かっても虚勢を張って、自分の力を誇りたいと思ったのでしょう。旧約聖書においても、民数記においては、主がご命令の下で、エジプトを出た時、また四十年後にカナンに入ろうとする時に、戦いに出ることのできる男性の数を数えるということがありました。この時にも、数えられた民一人一人についてあがないがなされました。イスラエルにおいては数に頼るということが深く戒められていたとも言えます。ダビデの命令はヨアブでさえも怪訝におもうほどでしたけれど、ダビデは家臣たちの忠言をも聞けなくなっていました。
主はダビデの罪のゆえにイスラエルを裁かれます。しかし、悔い改めて、主のために祭壇を築き、いけにえをささげたダビデを主は受け入れ、ゆるしてくださったのでした。