ソロモンが死んだ時、その子レハブアムが王位を継ぎました。しかし聖書はレハブアムの母親ナアマはアンモン人だったと記録します(十四21)。レハブアムが王となった時、イスラエルの民は、自分たちが負っている労役などの重荷を、父ソロモンよりも軽くして欲しいと願い出ます。ソロモンの王国の繁栄の中で、民の中にはいろいろなひずみが生まれ、国は疲弊していたのです。
ソロモンにも仕えた高齢の家臣たちは、レハブアムに民の求めをよく聞き、彼らに配慮して政治を行うように進言します。しかし、レハブアムは彼らのアドバイスを嫌いました。そして自分の思っているような答えをした若い家臣たちの意見を取り入れたのでした。国は北王国イスラエルと南王国ユダに分裂します。レハブアムを王として受け入れたのは、ユダ族とベニヤミン族だけでした。北の十部族はヤロブアムを王とします。ヤロブアムも主が立てられた王でした。しかし彼はすぐに主の嫌われる偶像礼拝に走っていきます。