申命記17章

王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。・・・王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶためである。(18~19)

 主にささげものをする時には自分が必要ないからと欠陥品をささげてはなりませんでした。主にささげものをする時には最もよいものをささげるべきです。そのようなところにも私たちの礼拝の姿勢が現れてきます。
 イスラエルにおいては主ご自身が王でした。けれども、約束の地に定住していくときに、周辺諸国のように王を立てようということになるかもしれません。しかし、イスラエルにおいては権力闘争の結果として王が決まっていくということではなく、主が選ばれる人が王になるべきでした。そして王となった人は、馬や戦車、金銀によって強くなろうとしたり、自分の与えられた権力を振りかざして誇り高ぶってはなりませんでした。
 王がまずすべきことは、律法を書き写すということでした。そして王は律法の書を自らの傍らに置いて、生涯これを読み、守り行うべきでした。王の力と知恵はまさにそこから来たのです。