神はアブラハムと契約を結び、彼と彼の家にいる男子すべてに割礼を受けることを命じられました。そして、モーセの時代もイスラエルの民は割礼を受けました。それは彼らのアイデンティティーを示すものでもありました。そしてまたイスラエルの民は律法を与えられ、それを守って生きるようにと求められました。しかし、後になるとイスラエルの民は割礼を受けているとか、律法を知り、それを守っているということに満足してしまうということが往々にして起こっていったのです。
しかし、主がイスラエルの民に求めておられたのは、彼らが神を神として畏れ、また主を愛して生きるということでした。律法を守るということも、その土台に主への愛がなかったら、とても空しいことです。そして、主は、私たちが主を愛して、その御旨の中を歩むことによってまさに心に割礼を受けて生きることを願っておられるのです。