申命記4章

私たちの神、主は、私たちがいつ呼びかけても近くにいてくださる。このような神を持つ大いなる国民が、果たしてほかにいるだろうか。(7)

 モーセはイスラエルの民に対して、これから進む道にあって、主の戒めに添った歩みをするようにということを教えます。その戒めの土台は、神を神とするということです。周辺諸国は多くの偶像を造り、それを拝んでいました。それらの木や石や金属の神々は聞くことも語ることでもできません。それであるのに、人々は偶像に祈りをささげ、祈りが聞かれたと言っては喜び、また自分の願いがかなえられない時には、拝み、仕える神々をすり替えていくのです。そのような偶像を拝む生き方は分別がありません。
 モーセは言います。私たちの神、主は、私たちがいつ呼びかけても近くにいてくださる。このような大きな神を知っているのに、他の神を拝むという時には、神は「妬む神」だから自らの身に滅びを招くのです。「妬む」とは本気で、熱い愛をもって私たちのことを思い、関わり、救ってくださるということなのです。