この章には清めの水のことが記されています。死者に触れたりして汚れを負った場合、七日間、汚れた者とされました。その人が再び清くなるためには三日目と七日目に清めの水を振りかけなければなりませんでした。この清めの水は、傷がなくまだくびきを負ったことのない赤毛の雌牛を焼いて、その灰を器に入れた湧き水に入れて作りました。この清めの水をかけられた人は清い者とされたのです。
もちろん、赤毛の雌牛を燃やした後の灰に特別な効力があったわけではありません。この清めの水はやがてこられる救い主によってもたらされる罪のゆるしと清めの業を指し示していました。ですからヘブライ書の記者はこのように言います。「雄山羊や雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖別し、その身を清めるとすれば、まして、永遠の霊によってご自身を傷のない者として神に献げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ行いから清め、生ける神に仕える者としないでしょうか。」(ヘブライ九13~14)