宗教的な汚れを負っている者たちは宿営の外に出なければなりませんでした。宿営をきよく保つためです。宿営の中心には神の臨在を表す幕屋があり、まさにイスラエルの民のただなかに主がいてくださることを覚えるときに、そこに汚れを持ち込むことは許されなかったのです。
この章の後半には、夫がその妻の貞淑を疑った場合の規定が記されています。私たちはこのような聖書の箇所を読む時に、あまりにも男性本位に感じるかもしれません。ただ、このような規定は、単に主の民に罪を持ち込まないためというだけでなく、弱い立場にあった妻を守るためでもありました。そうでないと夫がいろいろないいがかりを付けて、妻を離縁するということが起こり、女性の立場が弱い昔の世界にあって放り出されてしまうということが起こりえたからです。呪いの水も正しい人には、自分を守るものであり、祝福をもたらすものだったのです。