イスラエルの民は血を飲むことは固く禁じられていました。それがしばしば異教の習慣に結びついていたからであり、また血を飲むことを習慣にすることが、他者の命を軽々しく奪うことにもつながっていくことを神は知っておられたのでしょう。
血は神に近づくためにはとても大切なものでした。イスラエルの民が主を礼拝する時には、動物の血を携えてあがないをしなければならなかったからです。ここで、肉なるものの命は血にある、とされています。血を携えて神に近づくということは、私たちは本来は神に近づくと言うことは死を意味するからです。ですから、私たちが死ぬ代わりに、動物が死んで、その死によって、私たちは許されて神に近づきます。ただ、実際には、動物の死が私たちの死の代わりになるはずがありません。動物の血はやがて来られる罪のない神の子イエスの死を指し示していたのです。