レビ記1章

もしその人の献げ物が牛の焼き尽くすいけにえであるなら、欠陥のない雄牛を献げなさい。・・・その人が焼き尽くすいけにえの頭に手を置くと、それはその人の代わりに受け入れられて、その贖いとなる。(3~4)

 レビ記に入ります。レビ記は、創世記や出エジプト記の前半部のようにイスラエルの民の物語が語られるわけではありません。この中には、今は教会の中で実践されていないささげものの規定や食べていいもの悪いものを示す食物規程などが、次々に述べられています。ですから、なかなか興味を持つのが難しく、また今の私たちがこのレビ記を読むことにどのような意味があるのだろうかということが分からなくて、混乱しやすい書物でもあります。
 ただこのレビ記が「まことの礼拝」について語っているのだと言うことが分かってくると、レビ記が自分に語られるメッセージとして生き生きと迫ってくるようになります。レビ記の最初の十章で語られるのは、神に近づくためには、私たちにはささげものが必要だということです。一章で取り上げられるのは「焼き尽くすいけにえ(燔祭)」です。これは動物のすべてを焼きつくしてささげるいけにえで、全き献身を表しています。私たちはすべてをささげて主に近づくのです。