実はイスラエルの民がエジプトから出て来た時、外国人でありながら、イスラエルの民と共にエジプトから出て、約束の地に移住しようとする人たちがいました。彼らはイスラエルの主の力を見、その祝福にあずかりたいと思ったのでしょう。またイスラエルの民が約束の地に入り、その地に定住した後にも、寄留の民として移り住む人たちがいたはずです。
ここで、主は、イスラエルの民に対して、寄留の民を虐待したり、いじめたりしてはいけない、と命じられます。イスラエルの民はエジプトでは寄留者であり、外国人でした。そしてエジプトでは奴隷としてとても苦しい時を過ごしました。イスラエルの民にはその時の痛み・苦しみの記憶があるはずです。ですから同じことを寄留者たちにしてはいけない、と主は語られます。寄留者・寡婦・孤児・・・といった立場の弱い人の叫びを主は聞いておられます。私たちは小さく、弱い人のために憐れみ深く生きることを求められているのです。