第十の災い、最後の災いが臨もうとしていました。それはエジプト中の初子が死ぬという災いでした。そこにはファラオの子も、奴隷の子も、家畜の子も区別がありませんでした。大きな叫び・嘆き・悲しみがエジプトに臨もうとしていました。心をかたくなにして悔い改めることをしない者には大きな滅びが臨みます。最終的な滅びの前に悔い改めることが大切です。主はある意味、ファラオにも、またエジプトの民にも、何度も警告を発せられましたし、何度も悔い改めるチャンスを与えておられました。その神の憐れみに気づいて、素直になって悔い改めることです。
エジプトに迫って来ようとしている裁きの中で、これまでもそうだったように、神はご自身の民イスラエルを区別しておられました。災いはイスラエルには臨まなかったのです。彼らが素直で正しかったからではありません。ただそこに神の憐れみがあったのです。