雹の災いにおいては家畜や人だけではなく、畑の作物も大きな被害を受けます。しかし、ファラオと家臣たちは心をかたくなにします。ここで主は、「彼の心とその家臣の心をかたくなにしたのは、この私である」と語られます。これはファラオの意志を曲げるようにして神がファラオを頑固にされたということではありません。あくまでも頑固になったのはファラオの意志であり、ファラオはその責任を免れません。頑固になるにまかせられた、と言ってもよいでしょう。
モーセはファラオに悔い改めの招きをします。自分の過ちを認め、へりくだって、神に従えと語りかけたのでした。しかし、ある意味、神の地位にあったファラオはその神の座を主に明け渡すことはできなかったのです。
第八のばったの災いが起こり、第九の暗闇の災いが臨みました。ファラオはますます心をかたくなにしていったのでした。