出エジプト記6章

また、神はモーセに告げた。「私は主である。私は、アブラハム、イサク、そしてヤコブに全能の神として現れたが、主という私の名は彼らに知らせなかった。(2~3)

 モーセの祈りに対して、主は答えられます。そしてこのように告げられます。自分は、アブラハム、イサク、ヤコブに対しては「全能の神」として現れた。それは主は力があり、どんなことでもおできになるということでもあります。しかし、ここで神は「主」としてご自身を表されます。この「主」という言葉はヤーウェと発音するとされているヘブル語なのですが、旧約聖書を貫いて用いられるこの「主」という言葉はエジプトで奴隷であったイスラエルの民を、その力強い御手をもって救い出してくださった際に、イスラエルの民に示されたお名前です。ですから、イスラエルの民はこの後、ずっと「主」というお名前を聞く度に、出エジプトの救いの出来事を思い出すことになります。
 ただ、もうイスラエルの民はその苦しみのゆえにモーセたちの語る言葉を聞いてくれません。イスラエルの民さえ聞いてくれないのにどうしてファラオが聞いてくえれるだろうか。モーセの懸念は当然です。しかし主は口下手のモーセを用いて、その御業をなそうとしておられました。