創世記33章

するとエサウは走り寄ってヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。(4)

 ヤコブが全く恐れから解放されたかというと、それでもなお恐れはあったと思います。しかし、少なくとも、神の祝福を確信したヤコブは、徹夜の格闘で打たれた足を引きずりながら、家族の先頭に立ってエサウに近づきます。もう逃げるにも逃げられません。ヤコブは七度地にひれ伏して、兄エサウの前に出ます。
 しかし兄エサウはヤコブに走り寄って、彼を迎え、抱きしめ、首を抱えて泣きながら接吻をしたのでした。エサウが泣き、ヤコブも泣きました。二十年という時がエサウの心にあった憎しみを溶かしていったのでしょう。またエサウもまた、アブラハム、イサクと受け継がれてきた約束を自分が受け継ぐことはなかったとしても、自分もまた神の祝福をいただいているという平安が与えられていたのだとも思います。
 感動的な和解のシーン・・・けれども、ヤコブはエサウに気を許すことはできないでいました。それだけのことを自分はしたということが分かるようになっていましたし、また伯父ラバンの家で疑うことをさんざん学んだのかもしれません。ヤコブにはなお時間が必要でした。