アブラハムにとって百歳の時に与えられた約束の子イサクはまさに目に入れても痛くない子だったでしょう。そのことを神はよく知っておられます。ですから、神はイサクのことを「あなたの愛する独り子イサク」と言われのます。しかし、神はそのイサクを焼き尽くすいけにえとして献げるようにと命じられました。私たちはこのようなことを求められる神を理解できません。アブラハムも神がなぜこのことを求められるのかは分からなかったでしょう。しかし、彼は黙々とただ主に従います。ヘブライ人への手紙の記者はアブラハムは主がイサクを献げても、生き返らせてくださることができると信じていたと言います。創世記のこのところではアブラハムが神を畏れたと言います。神を愛し、信頼していたからこそ、従うことができたのです。
聖書はアブラハムのことを「神の友」と呼びます。まさにアブラハムは独り子をささげる神の思いを知る人でもあったからです。