創世記11章

彼らはさらに言った。「さあ、我々は町と塔を築こう。塔の頂は天に届くようにして、名を上げよう。そして全地の面に散らされることのないようにしよう。」(4)

 神が洪水の後、ノアに命じられたことは「産めよ、増えよ、地に満ちよ」ということでした。けれどもノアの後、人がまた増えていき、れんがを作ったり、アスファルトを使うようにようになると、彼らは自分たちの持っている技術を自分たちのために用い、自分たちの技術力を広く知らしめるために、天に届くほどの塔を造ろうとしました。「天に届く」というのはまさに神にもとって代わろうかとする人間の傲慢さをよく示しています。この神を神とせず、自分が神の座につこうとする姿勢こそが罪の本質と言えるかもしれません。そして、彼らは「地に満ちよ」と言われる神の言葉を無視しようとします。
 言葉が一つで、思うことも一つ。そんな人間が知恵と技術を握った時にし出したことを見て、神は人の言葉を乱されます。そして人々は工事を中断し、世界に散っていったのでした。このまま神が人を放置しておられたら、人はさらに心を合わせて神に逆らう道を歩んで行ったことでしょう。