いのちの水の川のイメージは、エゼキエル書四七章にもあります。まさにエゼキエルが幻の中で見せられたイメージをヨハネも見ていたのでしょう。この水の流れがいのちの水なのはその水が、神と小羊との御座から流れ出ているからです。この川は都の大通りの中央を流れ、川の両側にはいのちの木が植えられています。その葉は人々をいやします。
そこではいつも神が礼拝され、またそこにいる民は神の御顔を仰ぎ見ます。本来は、私たちは神に近づくことはできませんし、またなおさら神の御顔を見ることなど許されるはずもありません。しかし、その都に住む者たちの額には神の名が記され、いつも神の御顔を見ることができます。私たちは顔と顔を合わせて親しく、喜びをもって主を仰ぐことができるのです。私たちはその日には神をさらに深く知るようになります。そして私たちは主と共に永遠に治めるのです。