Ⅰテモテ3:1~7

「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。(1)

 パウロがテモテにエペソで願っていたことの1つは、教会の中で、ふさわしい働き人を立てていくということでした。人々が福音を受け入れ教会をスタートした時点では、十二弟子が中心になって教会が指導されていきました。しかし、信じる者たちが増え、また広がっていくなかで、教会は組織化されていきます。ただ教会が他の組織と違うのは、主によって召され、賜物を与えられた人たちが立てられて、その働きを担っていったということです。教会には、教会を形成するための必要な制度として、牧師・伝道者・預言者(説教者)といった人たちや、監督・長老・執事というような職務が設定されていきます。これを「職制」と言います。この職制は、正典である聖書、信仰告白と共に、正統的な教会を構成する大切な要素です。
 ここでパウロはまず「監督」について語ります。監督はいくつかの教会を指導する立場とされています。今で言えば、教団委員や教区長といったところでしょうか。パウロは「監督」になることを志すことを良いこととします。それにふさわしい者として整えられることが必要になるからです。