ガラテヤ6:1~5

互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。(2) 

 肉に縛られた歩みの特徴のひとつは、自分を誇り、他者を見下げ、裁き、断罪するということです。もちろん、誰かが罪を犯し、神に背を向けた愚かな歩みをしている時に、それを見て見ぬふりをするようにということではありません。私たちは時に、きちんとその相手と向き合って、間違いを指摘し、正さなければならないことがあります。ただ、そのような時にも怒りにまかせて人をこき下ろしてはいけません。パウロはここで「柔和な心をもって」と言います。また同時に、単に自分を高い所において相手を非難するということではなく、人の罪・過ちを見ながら、自分自身を点検し、反省するということがとても大切です。
 私たちは誰かに注意したり、過ちを指摘する時にも、愛をもって向き合わなければなりません。共に重荷を負い合い、共に主の前に出て、共に悔い改め、共に主にある歩みを歩んでいく・・・私たちお互いはそのために主にあって置かれているのです。